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『セーラー服と機関銃』(セーラーふくときかんじゅう)は、赤川次郎の同名小説の映画化作品。1981年12月19日、全国東映系で公開された。角川映画の代表作の1つで、主演の薬師丸ひろ子の人気を決定づけた。製作費1億5000万円。『燃える勇者』との併映で、23億円の配給収入は1982年の邦画で1位となった。興行収入は47億円。主題歌も大ヒットした興行的成功作である一方、アートフィルムとも言える異色の映画でもある。 == 企画・製作準備 == === 角川映画との提携 === 『セーラー服と機関銃』の映画化は『翔んだカップル』をやる前に相米監督自らが出した企画。キティ・フィルムの伊地智プロデューサーに女優が見つかれば実現可能だと言ってきた。 『翔んだカップル』が出来上がったころ、伊地智は自分の娘から当時まだ無名だった赤川次郎の小説『セーラー服と機関銃』が面白いと教えられ、その本に書いてあった赤川の住所が同じ団地だったこともあり、そのまま赤川宅に映画化の相談に訪れ、すぐに脚本作成に入った。 ところが、相米監督は自らが出した企画にもかかわらず、リアリティが無く映画化しづらい話だとも話している。 主役の星泉役に薬師丸ひろ子を使うため、薬師丸の所属する角川春樹事務所に出演交渉を行うが、事務所は薬師丸の他社映画への出演を拒絶した〔「薬師丸ひろ子"カ・イ・カ・ン"はいかにして生まれたのか」(多賀英典氏インタビュー)、『FLASH』 2013年8月20・27日号。〕。そこで、伊地智は相米監督を使って、事務所を経由せずに直接薬師丸に脚本を渡し読ませた。脚本を非常に気に入った薬師丸が角川春樹を説得、予想外に早くOKの返事が来て、キティ・フィルムと角川春樹事務所が提携して映画を製作することになった〔。 問題は提携の具体的中身だったが、本音では角川とは組みたくなく、特に製作だけは絶対に譲りたくなかった伊地智の思惑通り、製作は完全にキティ、宣伝は角川が担当するという分担になった〔伊地智は、角川側にまだ製作の体制が整っていなかったためだと想像している。〕。角川側は金を半分出しているだけで、映画の製作過程や出来上がった作品について文句をつけることはなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セーラー服と機関銃 (映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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